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川を抱え山に取り囲まれた加平郡は、すでに旧石器時代以前から人が住んでいたと推測される名残りを至る所で見ることができる
加平郡の郡所在地である加平邑は、最初は高句麗の土地で斤平郡または並平郡と呼んでいたが後に新羅に編入した
統一新羅の景徳王の時代に現在の加平郡に改称 ( ただ漢字では嘉平と加平を混用 )
高麗燎宗 9 年には春州の属郡になり内属となる
春州とは現在の江原道春川で、高麗時代には交州道の行政の中心地であった。
-高麗史」地理誌によると加平郡の代表的な山に華岳山と清平山 ( 現在の五峰山、春川市北山面清平里 ) をあげている。した
がって高麗時代の加平は現在の加平郡北面と接している江原道春川市史北面の一部とその向こうの北山面一帯までその領域を広げていたと言える。
○ 1413 年 ( 太宗 13) に江原道から京畿道に離属され、地方官として県監を派遣
- 中宗反正に中宗が即位した後、 1507 年 ( 中宗 2) には国王の胎が奉安された所であるとし、県から郡に昇格して加平郡に
なった。
○ 1697 年 ( 粛宗 23) 県に降等した後、 1707 年また郡に昇格
○ 1888 年 ( 高宗 25) 江原道に編入された後、 1895 年京畿道抱川郡に一時編入され、 1 年後加平郡として
大統領令 第 6542 号 ( 1973.3.12 公布 )7 月 1 日行政区域を改編、加平面が加平邑に昇格
2004. 12. 1 外西面が清平面に行政区域名称を変更